もともとは現在のような海での舟遊びではなく、
平安時代の貴族が自分の庭園や景色を眺めたりするものでした。
船も現在のような屋根がついているものではなく、平安時代に
両枝船(ふたまたぶね)と呼ばれる、二艘をつなぎ合わせた
船で当時の天皇や貴族が池に浮かべて宴会を行った記録が残っています。
屋形船と呼ばれる所以はさまざまな諸説ありますが、
一説としては平安時代から中世にかけて上流階級の貴族は
寝殿造りと呼ばれる立派なお屋敷に住んでいました。
そんな貴族のことを御館様(おやかたさま)と呼んでいたことから、
御館様の乗る船が転じ屋形船と云われるようになったとのことです。
江戸時代の平安な世が続くようになると、治水工事が進みはじめ
河川が整備されはじめました。以前は、江戸を中心に貴族や大名だけが
楽しんでいた舟遊びを裕福な商人なども楽しむようになります。
また、庶民の間でも、夏などには涼み船が集まり
舟遊びをするようになり、浮世絵などにも描かれるような一般的な
娯楽として楽しまれるようになったようです。
1900年代に入ると、戦争などにより贅沢とされていた
舟遊びは衰退していきました。戦後直後も東京は荒れ果て舟遊びを
楽しむような状況ではなかったようです。
戦後の荒れ果てた状況から高度成長期に入った日本では、
急速な復興により人々の暮らしは豊かになり始めますが
それと引き換えに東京の河川や東京湾は水質汚染により
とても汚れてしまいます。
それによりもともと東京湾や東京の河川に生息していた
魚が食べられない状況となります。
それに合わせ、水質汚染により汚れた川や臭いなどもひどく
とても粋と呼ばれた舟遊びを楽しめる状況ではなかったようです。
1970年代後半になると、高度経済成長期で汚してしまった
環境に対し、改善するよう対応がおこなわれはじめます。
それに伴い、釣り船屋を営んでいた者たちが屋形船を
再度東京湾に浮かべ始めたのです。
戦争と戦後の荒れ果てた状況により一時期姿を消していた
舟遊びが復活したのです。バブル期には豪華な船の舟遊びが
人気となり東京湾や墨田川などに屋形船が多くみられるようになりました。
以前の東京の海の夜景では殺風景だった景色も、明かりをともした船が
数艘浮かんでいるだけでとても華やかな景色となります。
今では東京になくてはならない景色の一つと言えるものとなったのです。